遊

Yu
武に遊ぶ

武に遊ぶ

子供がサッカーをするのは心肺機能の増進のためや、走るのが速くなるためではありません。
単純に「サッカーが好き」だからではないでしょうか。
サッカーが好きだから夢中になってボールを追いかける。
その結果、心肺機能が高まり、走るのが速くなり自信がついてクラスの人気者になる。

「自分を高めるためには苦しまなくてはならない。」と漠然と思っている大人が多いように感じますが、果たしてそれは本当でしょうか。

子供達をみると、遊び楽しむからこそ上達しているように思えます。

効果や結果は楽しみのあとについてくるもの。
苦しむのはある程度上達し自ら積極的にそうしたい、と思う段階ですればいいのではないでしょうか。

私が太気拳を続けているのも、太気拳や武術が大好きだからです。
そしてその楽しさと効果をより多くの人に知ってもらいたい、という思いから道場を開くにいたりました。

では太気拳のどこが楽しいのでしょうか。
いろいろありますが、私にとって太気拳は、
「仮面ライダーごっこ」
のようなもので、稽古の度にワクワクします。

太気拳は素面素手での激しい実戦組手をすることで有名です。

現在では総合格闘技など顔面パンチと組技が許されている競技がありますが、それらがポピュラーになるはるか昔から防具なしで顔面を含めた打撃を認める実戦的な稽古をしており、他流派との組手交流も盛んに行っていました。

中国武術といえば太極拳などの優雅なイメージがありますが太気拳はそれには程遠く、激しい実戦の中で検証を重ねてきた歴史があります。
昔から空手など武術を修行してきた人にとって「太気拳」というのは過激な殺伐としたイメージがあることでしょう。

私自身もそんな激しい組手を稽古してきました。
鼓膜が破れるのは当たり前、歯が折れたり骨折したりということも珍しいことではありませんでした。
一握りの人間が強くなる為に、大勢の人が怪我をし挫折してゆきました。
残った者も無傷ではなく、身体に多くの故障を抱えています。
そんな激しい組手によって色々なことが学べるのですが、それには相当な覚悟が必要でした。

私の師匠である太気拳気功会島田道男先生はそんな組手を無理強いをするような師ではありませんし非常に合理的な指導体制を整えられたのですが、当会では今一歩、変化をさせたいと考えています。
それが、「楽しむ組手」(=仮面ライダーごっこ) という提案です。

太気拳は素面素手での激しい実戦組手をすることで有名です。
武術道場のHPで組手が「仮面ライダーごっこだ」と記載されていることに違和感のある方もいらっしゃると思います。

武術道場のHPで組手が「仮面ライダーごっこだ」と記載されていることに違和感のある方もいらっしゃると思います。
特に昔から伝統的な武道の修行をしてきた方には受け入れがたいかもしれません。

ですが、あえてそのような表現をしたいと思います。

一般に組手の目的は、稽古で学んだ技が実際に使えるかの検証、というところです。
試合のある流派では、組手に「勝つ」ということ自体が目的でしょう。

ですが、私は組手の目的を
「遊ぶ、楽しむ」 ことと再定義します。
そこから派生して、当会で組手をするにあたっては、
「勝ったら負け」「相手を楽しませる」「怖がらせない、痛がらせない」「認めあう」「理解しあう」
そんなルールを設けています。

このようなルールの許でお互いがノビノビと動くことによって、思わぬ効果が生まれました。
まず失敗することを恐れずにドンドン新しい技に挑戦することができます。
今までであれば、失敗しそうな技を出すと相手にこっぴどく殴られるので、どうしても手堅い動きが中心となっていました。
新しい動きに積極的に挑戦できることによって技術も向上し、心もますますほぐれてゆきます。

そして組手をした者同士が仲良くなる。
今まではどうしても自分の方が強い、とか、今度は負けない、とか、競争意識がありました。
(競争意識が悪いということではありません。ただ、別の方法もあるのでは、という提案です。)
競争意識であればまだ健全ですが、完全に強弱が決まっている場合は暗黙の上下関係が生まれます。

何よりも怪我をせず、楽しく動くことができます。
強くなるために稽古をしているのに、怪我をして弱くなるなんて本末転倒もいいところです。
今から5年、10年で最高に強くなる、ということではなく、太気拳をやったことで死ぬまで調子がいい、となるのが理想です。

武道や格闘技の経験者なら、組手の楽しさをご存知のはず。
同時に痛みや辛さもご存知のはず。
それの、痛みや辛さのない、楽しさだけの組手です。
楽しいに決まってますよね。笑

辛いのが嫌だから楽をしよう、とこのような提案をしているのではありません。
組手とは当たり前ですが人対人で行われるものです。
つまり組手とは肉体を通したコミュニケーション

コミュニケーション(対話)もいろいろありますが、相手を屈服させるような、勝ち負けを決めるような対話は最上のものとはいえません。
相手に何かをしてもらいたい、というときでも屈服させるのではなく、お互いに同意の上でやらなければ心からの賛同を得ることはできないでしょう。
つまり最上のコミュニケーションとはお互いを理解しあい、認め合う関係を築くものではないでしょうか。
組手がコミュニケーションの一形態であるならば、当会はその最上の関係性を目指したいと思います。
しかもそのオマケとして、仮面ライダーのように、今までの自分を超越した能力(平常心、分析力、パワー、持久力、スピード・・・)を獲得できるのです。

人が取っ組み合い、闘うというのは本能的なもの。
ライオンの子供達は兄弟でじゃれ合うことで狩りを覚えます。

遊んで、楽しんでこそ、上達する。

相手や自分を怖がらせず、怪我をせずに上達するシステムがある。
当会ではそのような方針で稽古をしています。

「仮面ライダーごっこ」を楽しみながら全力でやると、能力がどんどん高まるなんて不思議ですが、本当です。

漢文学者の白川静先生は「遊」の字を最も愛したそうです。
「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に他ならない。この神の世界にかかわる時、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。」
「遊字論」より

神人冥合の境地です。
無心となり我を忘れ、その場その瞬間と一体化する。

夢中に遊ぶから自然と集中する。
楽しいから集中しているのか、集中しているから楽しいのか。
仕事でも集中すると時が経つのを忘れています。

遊び、すなわち対象との一体化は目標達成の最短ルートであり、その充実を感じたとき、その過程自体が目標(=報酬)そのものとなってきます。

特に柔道や空手、レスリング、総合格闘技、ボクシングやキックボクシング、その他の武道格闘技経験者の方、お越しください。
きっと武術の楽しさを再認識して頂けることと思います。

最上のコミュニケーションとはお互いを理解しあい、認め合う関係を築く

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