押されたところが足の裏になる
March 27th, 2025
秩父の山奥に武術の達人がいるらしい。
そんな噂を20年ほど前に聞き、熱心に探したがそのときは縁がなかった。
それがひょんなことで、数年前に縁がつながった。
その秩父の師にはじめて会ったときのこと。
80歳前の小柄な禅僧。
脚を悪くされており、立つのも辛そうだった。
庵に押しかけ、指導をお願いしたが「武術は修羅道だ、嫌いだ。」と断られた。
それでも諦めきれず、しつこくお願いした。
いきなり約束もなく北海道から押しかけ、さぞ面倒くさい奴と思われたことだろう。
仕方なく思ったか、少しだけ、ということで指導をしてくれた。
立ってみなさい、といわれ、立禅をした。
立禅は長年やっている。
それなりに正しく立てている、と思っていた。
だが脚の悪い老人の力に押され、全く抵抗できない。
何度やっても押し飛ばされてしまう。
何故なのか、分からない。
「身体が空気の満ちたタイヤのようになればいいんですわ。」
身体に気が満ちる、ということ?
そんな気分になることはあるけれど、それが物理的な力になる感じはしない。
「相手に押されたところが足の裏になればいいんです。」
これははじめて聞いた。どういう意味だろう?
その時は曖昧な言葉だな、と思った。
だけど、今ははっきりとわかる。
本当に身体が空気の満ちたタイヤのようになる。
押されたところが足の裏になる。
この師の教えが、立禅が力を生む原理だ。
それは地面からの力であり、バランスの維持だ。
力が噴水のように地面から相手に伝わり、また相手からの力を吸収するのだ。

カールゴッチの指導と立禅の共通点