禅と概念的思考

March 3rd, 2025

「禅は、語の普通の意味での「哲学」と一緒にされることを好まない。
というのも、「哲学」は、理性的で論証的な思考と概念かを含意するからだ。
その意味で、禅は単に非哲学的であるだけではない。
より積極的に言って、それは反哲学的である。」

「「真理」に関する概念的思考の複雑さは、避けがたく禅を学ぶ者を正しい道から外れさせ、そのため、禅が理解するリアリティの「リアル」な体験への扉を閉じてしまうような性質のものである。」
(禅仏教の哲学に向けて 井筒俊彦)

「坐禅のやり方がわかったら、あとは禅に関する本を読むな、話を聞くな。ただ坐れ。」と指導されました。
この「坐禅のやり方」というのは、なにもかもをそのまんまにしてただ坐る、ということです。

「⭐︎」を「星」と理解するのは理性的、概念的な思考です。
ですが「⭐︎」は「⭐︎」です。
(ひとつめの⭐︎とふたつめの⭐︎も別物ですが言葉での表現の限界です。)
そこにはいわゆる理解、論証、思考が介在する余地はありません。
このことは、ただそれに徹するリアルな体験を通してはっきりします。

禅をして迷ったら、自分の掌をヒラヒラさせてみてください。
何も考えずとも、ヒラヒラとなっています。
ただ、それだけです。

沖縄の禅僧