「不動心」は「自在に動く心」

January 3rd, 2025

不動心とは
不動心とは石のように「動かない心」ではなく「とらわれなく自在に動く心」です。
そして立禅は不動心を得る修練です。

動くのになぜ不動か
不動心とは「今」を基準にしたとき、「不動」ということです。

「今」は刻々と変化しています。
その「今」の変化に応じて心がぴったりと離れず変化し続けるとき、不動となります。

相対的に不動
地球は高速で自転していますが、人が真上にジャンプしたら同じ場所に着地します。
走る電車内でジャンプをしても、やはり同じ場所に着地します。
地球や電車と全く同じ方向、速度で動いているから不動に見えるのです。
地球や電車と相対的に不動、ということです。

複数の敵と戦っている時、最初の敵を倒しても、そこに意識が残っていては次の敵にやられてしまいます。
左のパンチを避けても、それだけで安心したら右のパンチをもらいます。
「今」とズレて「過去」や「未来」にとらわれてしまうと「今」がおろそかになってしまいます。

修行が進んでも「バン!」と大きな音がしたら反応します。
だけど、「バン!」がなくなって「シーン」としたら「シーン」となります。

「今」そのまま
過去の出来事、未来の想像にとらわれることなく、目の前の「今」の変化にぴったり対応し続ける心のありようが不動心。

そして、この不動心に気づく修行が、立禅です。
立禅において、姿勢などをある程度整えたら、あとは「そのまま」にしておきます。
「そのまま」とは、「今」のまま、それに勝手な解釈をくわえずそのままにすること、つまり、今とぴったり沿うことが修行です。

もっと正確に言えば「今」と沿う「自分」なんて無い、ということを経験する時節があります。
「バン!」となれば「バン!」しかありません。
「私」が「バン」を聞いた、というのは説明であって事実ではないということがはっきりします。
対象と同じように動くから不動である、というのは相対的な表現ですが、相対することがなくなるということです。

フィンランドのイナリ湖